わたしが過去にやってたことなんだけど
相手に「イラっ」とした時は、実は、根底に愛があったんだよね…
ちょっと例を書くと(わかりやすめに書いてみるつもり)
— 上司に「AさんとBさんで、鹿児島に行って、この形の黒薩摩(陶芸)を探してきて」
— と言われて、鹿児島に来た、AさんとBさん
— 片っ端からお店を訪れるも、お目当ての黒薩摩はなかなか見つからず、、、
— Aさん「さっき閉まってたあのお店、もう一度行ってみよう?!もしかしたら、店主さん戻ってきてるかも」
— Bさん「え…1回行ったんやから、もう行かんでもええでしょ」
— Aさんの心の声
(なんで、そんなやる気ないん?仕事を任されたのに…信じられへん!!!)
とまぁ、こんな出来事があったとして。
Aさんは、Bさんに、「そこに愛はあるんか?」って心の底では言いたいんやと思うんよね。
でも、わたしの場合もそうやったんやけど、
本人(Aさん自身)は、”愛から怒りになっている”というのに、気付いてなかったりする。。。
”怒り” の裏には ”寂しい” ”悲しい” ”怖い” という感情が隠れていると言われてて、
Aさんは、Bさんに、
「同じ思いで仕事をしてくれてるかと思ってたのに、違った。寂しいな」
とかが、気付いていない本音の部分。
それって、「愛」でしかないんよね…。
でも、自分に「愛がある」と気づかなかったら、
相手にも「愛がある」と気づかなかったりする。
愛は人それぞれだから、比較するものでもないけど、
自分の中の「愛」に気付かなかったら、
相手にそれがあるとも思ってもみなかったりするから。
だから
Bさんには
/
そこに愛はあるんか?
\
Aさんには(Aさんの中に)
/
そこに愛はあるんやで
\
って言いたいw